=成美清松先生、渡辺信一先生、美濃口時次郎先生
 
建元正弘先生 城島国弘先生 の思い出 =    No.18

   2013年1月18日     佐 藤  治
 

■1年前から始めた「ゼミ物語」もこれまでに13ゼミから寄稿
 があり、終りに近付いた。各ゼミの代表から、ゼミで学んだこ
 と、ゼミの真髄、ゼミ授業の思い出、恩師の素顔ゼミ旅行等
 について縷々紹介があった。桜山のよき青春時代を偲び、
 感慨深いものがある。
 ゼミでゼミナリステンと過ごした充実した時間は濃密で芳醇、
 われわれのバックボ−ン形成に与って力があった。殆どの
 恩師は黄泉へ旅立ち、幽冥竟を異にした友も多い。
 深い師恩、篤い友情に心から感謝したい。

 標題に挙げた5ゼミについては、概して小ゼミであり譲り合い
 の気風が強く、執筆者に人を得なかったのが悔やまれる。
 以下私的な想い出を含め、佐藤が各恩師のプロフィ−ルを
 取りまとめ、「ゼミ物語」の最終版としたい。

■成美清松先生について
   卒業に際し、単位取得について一番泣かされた先生であろ う。しかし温情あふれる先生は厳しくもあり、情に篤い人で もあった。その恩恵に与った者はかなりの数に上る。
 先生書き下ろしの「数理統計学」は名著と言われている。
統計学授業の教本として使われたが、理解の程度は兎も角、 とても良い本であったとの印象が残っている。
 ゼミは確か一人だけではなかったか。1対1のゼミは地獄 か極楽か、余程数学好きな人であったに違いない。尤もゼミ 生は毎年1〜2名であった由。

 先生は福井県出身で東京物理学校・東北帝大数学科卒、 理学博士。小樽高商教授を経て大正10年名古屋高商創設 と同時に教授着任、統計学を担当、英国に留学してピアソ ンに統計学を学び、商業数学・経済統計学の泰斗として知 られた。温厚篤実な人格者であった。

・1年後に入社してきた成美ゼミ出身H君と勃興期の自動車 需要分析、市場調査に成美統計学を駆使?して成果をあげ 業界で一目置かれたことも。H君の結婚式の裏方・司会 を務め先生と親しくお話した時に、父が名高商の1回生で 先生の明晰かつ難解な講義を受けたと懐かしく話していた ことを申しあげると吃驚され、往時を偲び話が弾んだ。


■渡辺信一先生について
 愛知県出身で東京帝大経済学部卒。東大教授を経て経済 学部新設の名大に転じられた。農業政策がご専門で、講義 は分り易く名調子であった。先生が教材とし自ら編まれた テキストは充実した内容で、試験の時には重宝した。われ われの4年次には経済学部長をされていた。
1965年に城島国弘教授編集による渡辺信一教授還暦記念論 文集「経済発展の論理」が出版されている。

 ゼミ生は13人と多く、よく遊びよく学ぶタイプが多かっ た。ゼミ旅行では先生は裃を脱がれていつも上機嫌であっ た由。また、就職にもさり気なく目配りをされ、ゼミ生に は松坂屋、名鉄、岡谷鋼機等地元有力企業に就職した者も 多い。

 教授陣は東京商大、名高商、東大その他出身者に大別さ れたが、東大出身者は渡辺、四方、城島の3先生のみ。渡 辺先生は眉目秀麗でプライドも高く、保守派としての威厳 があった。逆に四方先生は村夫子然としてパイプを燻らせ、 河合栄次郎門下生としての矜持を示され、好一対であった。


■美濃口時次郎先生について
・ 一橋大学教授と兼任のまま社会政策を担当された。同大 学の山中篤太郎教授と並んで社会政策、労働政策の第一人 者と言われた。幅広い領域で数多くの著作を残されたが、 主要な研究領域は人口問題で、人口問題研究所の設立・発 展に尽力された。「人口問題」、「人口政策」、「人的資源と社 会政策」、「日本工業論」、「賃金論」等著書・訳書多数。賃 金政策と国民経済、経済成長と労働人口、中小企業の賃金 問題、人口の発展と雇用問題、労働の人間化等論文も多い。

 公的活動も多忙で休講が多かった。自著を基に講義をさ れたがやゝマンネリで欠席者が多かった。試験はやさしく 有難かった。産業労働事情の変遷と社会政策の効用につい ての話が印象に残っている。2足の草鞋を履かれたことに 無理があったのではないか。ゼミ生は5名で、絆は堅い。

 就職後4〜5年経った頃、酒井先生から電話があり、美濃 口先生の長男と学友2名が卒業前の有力企業訪問調査をし ており、トヨタ自動車の工場見学と経営管理学習について 便宜を図って欲しいとのこと。相応の便宜を図り、目的を 達して別れたが、好青年であった。父君の研究生活に憧憬 の念を抱いておられたが、その彼が父君と同じ一橋大学教 授となり学究生活を送られたとのことご同慶に堪えない。 。


■建元正弘先生について
・ 岡山県出身、1943年名高商卒(酒井教授ゼミ)、1950 年京大経済学部卒(青山教授ゼミ)、同年名大経済学部助 手、オレゴン大留学、同53年講師・国際経済論担当、同 54年助教授、56年阪大助教授、ペンシルベニア大留学、 65年京大助教授、教授、72年阪大教授(金融論、公共経 済論担当)、77年同学部長、84年日本経済研究センタ− 理事を歴任。経済学博士。

 「貿易の計量的分析」、「外国貿易と国際収支」、
 「所得分析」、「国際貿易の計量分析」ほか単著多数。
 渡部経彦教授との編著「現代の経済学シリ−ズ全5巻」
 上野裕也教授との共著「経済行動の計量的分析」
 市村真一教授との共著「社会人のための計量分析」
 等共編著多数。

 熱海大観荘で開催の第2回望洋会に出席された際、愛息 と奥さまを相次いでガンで亡くされた直後でもあり、悲嘆 にくれておられ、皆でお慰めしたことが忘れられない。

 名高商で酒井正三郎教授に師事された後、京大の青山秀 夫教授の門を叩き、市村真一、鎌倉昇、島津亮一等の俊秀 と切磋琢磨された。その縁で名古屋から関西へ移られたこ とは名大にとって大きな痛手であった。阪大で渡部経彦教 授との出会いもあり、日本を代表する経済学者・計量経済 学者として大成されたが、1997年73歳の若さで天国の奥 さま、愛息の許へ旅立たれた。

 先生は真摯なお人柄で学問に対する情熱は煮え滾る湯の ごとしであった。私も酒井先生のご紹介でたびたびご指導 を仰いだが、包容力のある心の優しい先生であった。
 ゼミ生は4名、ユニ−クな人が多かった。良い先生、ユニ −クなゼミ生のゼミ風景が髣髴として目に浮かぶようだ。


■城島国弘先生
・ 先生は東大卒、渡辺先生とご一緒に名大へ移られ、助教 授として農業政策を担当。われわれの年次では、ドイツの フライブルグ大へ留学されたためゼミの募集はなかった。
授業を受けたことはなかったが、いかにも秀才、切れ者の 感あり、伸びるなとの予感がした。

 「幾山河」で野村豊昭君がプロゼミ時代の思い出を寄稿し ているので、以下要約引用する。

 「先生はドイツ語が得意で、外書購読にドイツ語のテキス トを使うと提案があった。勘弁して欲しいと願い出て、 ミ−ゼスの「ビュ−ロクラシ−」を使った。・・・・
ミ−ゼスの予言通りになり驚いた。

 先生はドイツ語を駆使されて「地域開発と地域政策−日 本・西ドイツ共同研究」とかルッツの「利子論」の翻訳等 のほかドイツ語で書かれ日独で出版された「経済学と物 理学」という怪著もある。学際的研究にも精力を注いで おられたようだ」

 上記のほか先生の
  単著には 「環境開発論」、「立体農業論」
  共著には 「経済発展と経済社会の構造」
  共訳書には「ミュラ−原著:地域分析の方法」等がある。

 また、先生はフライブルグ大学との間に友好・交流の橋を 架けられた。両大学の教員・学生による共同研究会を交互 に開き、研究・人的交流面で大きな成果を挙げ今日に至っ ている。(今年で25回目、留学生交換も活発)。
 共同研究の成果は日英両国語で出版されている。「社会政策 と財政問題」ほか

 1988年退官の後、新設の四日市大学初代学長に就任され、 地域の学術・文化振興のため尽力された。2001年に他界さ れた。


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