『 鹿島敏生君と山口淑子さんのことなど 』

2014年9月30日  宮城晴明



 鹿島敏生君が亡くなったことを知った。平成25年12月27日。      教養部時代は社研、合唱団、文学サ−クルのリ−ダ−だった。名古 屋市中村区出身。旧制中川中学、松蔭高の秀才。塩沢君夫先生のゼ ミに参加。名古屋市役所に進む。やさしい風貌、やさしい声が思い 出される。

 鹿島君の訃報を知った9月、山口淑子さんの死を知る。平成26 年9月7日没。山口さんも私も満洲出身。
 最後の参議院選挙だった。下馬評は苦戦だった。私の母が死んだ年 だったような気がする。母は投票するなら李香蘭かも知れないと思 った。雨の降る日だった。名古屋駅前の桜通を合羽を着て自転車で 私は通っていた。山口叔子の宣伝カ−が交叉点で止まった。私はポ ケットにあった千円札を運動員の人に「牛乳でも買って飲んで下さ い」と渡した。後から追いかけてくる人がいる。山口先生がお礼を 言いたいとのこと。小柄な人が自動車の座席にいた。
 桂三枝のTV番組「美女対談」で山口さんがこの時の選挙の思い 出に名古屋で貧しい身なりをした青年からカンパをもらったことを 語ったとのこと。私はこの番組を見ていない。

 李香蘭が戦犯として死刑になるところを救ったのは日本国籍を証 明する戸籍謄本だ。それを届けたのは私の満洲国奉天市の千代田小 学校の先輩の白系ロシア人の女性である。日銀総裁だった三重野康 さんと小学校で同期の人だった。

 日本人の満洲国体験は私の世代で終る。消えた帝国の歴史には日 本現代史がつまっている。李香蘭がスタ−になった満洲映画協会の 理事長だった甘粕正彦の役割に今ごろ思いあたる。大杉栄に最も影 響されたのは甘粕正彦かも知れない。出獄後フランスに留学してい る。満映では日本共産党員を重用する。中国人を差別しない。しか し避けられない罪を知り自決する。私の叔母は新京にいた。日常的 に甘粕さんと言って話題にしていた。


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